ジュンテンドーの発祥
このように日常的になるには時間がかかったのですね。
株式会社ジュンテンドーは、島根県益田市に本社、広島県安芸郡府中町に営業本部を置く中堅ホー
ムセンター。業界内での売上順位では 14 位と見られている。東京、大阪2部上場。売上高は約460億円。
中国地方と近畿地方(ただし、滋賀県は除く)に出店している。地域密着型の店舗作りを得意としており、1店舗当たり面積は小さめで、近年のホームセンターの店舗の大型化とは一線を画しているが、大型店舗も存在する。
また、ドラッグストア(サンデーズ)経営を行ったり、島根県と鳥取県米子市と山口県萩市でカー用品店のイエローハットのフランチャイズチェーン店の運営も行っている。さらに、子会社(ジャスト商事)を通じて中国地方(ただし岡山県は除く)で書店経営を行っている。
概要
明治10年(1877)10月17日山口県佐波郡佐波村第403番屋敷にて渡邉文市生誕する。14歳の時、父の死去により中学2年で中退し、防府の柏木薬店(店主・柏木幸助)に勤務する。
明治27年(1894)10月、防府の生雲瀧次郎の援助により島根県石見国美濃郡益田町折戸(現・益田市折戸)にて「順天堂薬店」を開店する。「順天堂薬店」の近所に「第五十三国立銀行」益田支店長の飯塚正居が住んでいた。正居はかねてから文市の誠実な生活態度にほれ込んだ。文市は、正居の一人娘のリョウ(正居の妻ツネの兄・平田正表の長女を養子としてもらっていた)と結婚し飯塚文市となる。
明治40年(1907)4月「日本薬局方」(第3版)等の施行にともない、薬業は近代化されつつあった。文市は医師の処方箋により調剤のできる「薬局」を目指し、従兄弟の足立滋春を「大阪薬学専門学校」へ進学させた。滋春が卒業するまで島根県薬剤師会幹事・薬剤師虎谷常太郎を雇用し、店舗改装し「飯塚順天堂」が誕生する。「なんでもあるくすりや」と命名し「明治のドラッグ・ストア・順天堂」と呼ぶにふさわしい店舗で日常品から食料品まで全てを揃えた店舗であった。薬の製薬及び販売し富山の薬売りが独占していた市場を次第に掌握するようになる。「順天堂」の名は遠く松江・山口まで知られわたるようになる。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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